
27のお祝いに現実逃避用の覗き穴をいただいたので、たびたび覗く。
27歳は若者だけど何をするにも半端なことをしててはのっぴきならなくなる年齢だと気づいた。働くにしても、遊ぶにしても、勉強するにしても。
自分でも何を待ってるのかわからないものを待ったりしないでひとりでもなんでもしてどこでも行こうっとと思った。のんびり沈んで落ち込んでいじけてる暇はもうない。楽しまないと。
ということで、今年は旅行。
とりあえずお正月旅行の新幹線とホテルの予約をした。
ジワジワと少しずつ移動するから、各地のお雑煮が食べられたらいいなあ。

今年だったかどうかもあやしいけど、みうらじゅんがNHKのしゃべり場にゲストで出てたとき、人生について目をそむけたくなるほど真剣に討論する中学生たち(?)相手に
「君達井上陽水の「夢の中へ」って曲知ってる?」と訊ねて、「探し物は何ですか、見つけにくいものですかって歌うんだけど、その次にくるのが「それより僕と踊りませんか」で、これは斬新ですばらしいと思うから、そんな感じであんまものごと深く考えなくていーんじゃないだろうか。」というようなことを言っていたのには爆笑した。中学生たちはそんなみうらじゅんを、無視、黙殺、スルー、という感じだったのも笑えた。
あれは名言だと思う。

先週新宿のランブルでMと会った。いつものように会わなかった間に集めた、いろいろなプレゼントを交換した。Mからはプレゼントとバースデーカードをいただいた。カードっていうかこの写真の「チンして食べてね。」みたいなメモ紙を。
プレゼントは金平糖だった。ご丁寧にガラスのシュガーポットもくれた。直径4cmくらいのガラスの器もあったので、これはなにかと思ったら、「金平糖を取り分けて食べる用」らしい。
ありがとうございます。
Mがフィギュアスケートの話をふってきたけど、何が何やらわからず「へー。」と気のない返事をしてたら「いま日本中の女の子はフィギュアスケートに夢中なんだよ!」とキレられた。
数日後夜中にNHKをつけてたら再放送が始まってMの言葉を思い出したので、あわてて私も鑑賞した。大会の結果が出た後のサービス祭り的な踊りだった。
うーんたしかに、そりゃあ、これはそうだねえ!

これは今年還暦を迎える母が買ってくれた、石のついた指輪。
「テレビドラマとか映画なんかでよくあるような、母が死んで何年も経ってから指輪を眺めて「あぁ、これは昔お母さんが元気な頃に買ってもらった指輪なのだわ。」って思ったりする、あれ用の指輪だから。」とのこと。母曰く。
今まで気づくチャンスもなかったが、私はニセモノだけでなくホンモノの宝石も好きなのだわ!毎日眺めてうっとりとする。なんだろうねえ、石なのに、うれしいんだねえ。

27歳になった。
誕生日の26日は運転免許の更新をしに鴻巣の免許センターへ行った。
免許センターの教室に入るとすでにたくさんの人がいて、おじいさんとか、ホスト風の人とかいつか染めたらしい金髪の名残が哀愁な兄ちゃんとかスライドひとつひとつに感嘆のうめきをあげる人など冴えない感じの人間がじゃんじゃん詰め込まれていて、こんなクラスだったら嫌だな、とぼんやりと思った。みんな私と同じく「初めて更新する人」かと思ったら、彼らのほとんどは事故をおこした人たちで、初めての更新者は端っこの一列だけだった。(妙に納得。)
いろんな状況でいろんな形のスクラップになった事故車といろんな形になった加害者、飲酒運転の人に轢かれて死亡した人の死体、と病院で家族の死を告げられた家族、おでこの傷口からガラスを摘出してもらうおじさん、などのビデオを見ながら27回目の私の誕生日は暮れた。
あまりに冷えたので、新宿であったまってから帰ることにした。甘い珈琲とクッキーを注文して、保坂和志の『季節の記憶』を読みながら時間をつぶした。砂糖楓の葉っぱの形をした上に「DARE」と押してあるメープルクッキーがとてもおいしかった。これはいい!と、2個はそそくさと紙に包んでバッグに。
今年は耳あてを買ったので外出環境が少しマシになったと思う。(あまりにすばらしいので、予備に2つ買った。)

この間Kから一足早い誕生日プレゼントをもらった。
とてもかわらしい物でわーいと喜んでいたら、「それ実は去年からずっとうちにあったんだ。」というので、どういうことかと思ったら、たしか去年の今頃私は機嫌が悪くて、それであげなかったんじゃないかと思う、ということだった。
短気は損気。
思い当たる節は全くないけど、私のことだからありそうなことだとも思う。
今年こそ朗らかに。

年末にOと京都に行く約束をしているので打ち合わせした。せっかくだから奈良へも行くことになった。せっかくだから年越しも京都で。せっかくだから、2日に兵庫へ帰省するKのうちにも寄ることに。せっかくだから神戸で買い物も。どうせせっかくだから、瀬戸内海の直島にも行く。
いつか帰ってこられるかな。
肝心の、ということもないけど、年越しと元旦は京都でひとりきりの予定。ビジネスホテルでおにぎり食べながら紅白でもみるかなあ。
京都地方の人々のブログを読むと、雪だー雪だーと言っていて凹む。
『クワイエットルームにようこそ』はすぐ読み終わってしまったので帰りに駅前の本屋で何か読み物を・・とまた彷徨う。いままで読んだことなかった梨木香歩の、『裏庭』という文庫を買った。
これは楽しめなかった。勝手に進んでいくメルヘンの世界に置いてけぼりにされたという感じ。明朝体のパートはまあまあ楽しめたけど、ゴシック体のパートからは完全に閉め出された。「今いいセリフ言ってます」という感じの部分に当たるたびに私はとても意地が悪くなっていった。読んだものが合わないことは珍しくないのに、なんで今回はこんなに釈然としないんだろう。暗くて繊細でとてもプライベートな問題をそれぞれのキャラクターにふっているのに、それを雰囲気作りにしか利用してないような気がするからかもしれない。空想とはいえ、作り上げたプライベートな問題に対して、それじゃあ失礼な気がする。
そのまま続けて本をとってくる。「買ったもののまだ読んでない本の棚」から。村上春樹の『回転木馬のデッド・ヒート』があったのでそれを選んだ。いくつか読む。
今後しばらくは、小説ではないものを読もうと思った。

地下鉄表参道駅構内はすっかりお祭り広場になっていたので驚いた。いつのまに!
美容師さんに髪を切ってもらった。もう誰に合っても驚かれるくらいの短さ。2年前はこれより50cm近く長かったのだなあ。2年前にとった免許証の写真を見ると別人のよう。頭皮に伝わる髪を切る刃物の振動と、切ったあとの「うわぁ。」という衝撃が癖になってしまったようだ。止め時を完全に失った。
その後青山ブックセンターに寄って「欲しいものは何かないか」と彷徨えるゾンビだった。食後の『リヴァイアサン』が終わってしまったので次の読み物を・・・。いろいろ探したけどどうもピンとこない。とにかく、『リヴァイアサン』と方向が違うものを読みたいと思った。結局松尾スズキの『クワイエットルームにようこそ』とリリー・フランキーの『女子の生きざま』を買った。
今知ったけど、松尾スズキの方は1日前に発売したものだった。どうりで知らなかったわけだ。
リリー・フランキーの方は、最近Rさんに「乙女の美学校」講座というのを紹介されたので、そこからの連想で。(私はむしろこっち側だろう。)

たーった いちーどの あやーまーちを あーなたーはくやーんでいるかーしら
たーった いちーどのこいの あやまちだけが わーたしーをさーさえーてくれたーのに
仕事(ホームページの制作。タグ打ち。)をしながら淡々と歌。

昼過ぎに遅い昼食。入ったことのないカフェに入ってみたらとてもすいててよかったけど、店員さんが「ジャニーズ以上、ホスト未満」くらいの男の人ばかりだった。ぎょ。BGMもアメリカ人っぽいムーディなクリスマスソング。ぎょぎょ。
パスタは「ツナのトマトソースパスタ」を食べた。
そんなに好き嫌いは多くないと思うけど、チョコレートと生トマトだけはどうしても駄目(火の通ったトマトは好物)。気の利いたレストランではトマト系パスタにほとんど生のトマトを使ったりするけど、この店ではなんとまさに「生」なトマトがカットされて乗っかっていた。ええ、食べますとも。大人ですもの。と思って食べたらおいしくて、なんか笑顔になってしまった。生のパスタもとてもおいしかった。
「飲み物とデザートは自分で獲ってくる方式」だったのだけど、ひとりで食べててかわいそうに思ってくれたのか、パスタを食べ終わったあたりで皿に全種類のデザートを盛って持ってきてくれた。やさしい!と思ったけど顔が一瞬こわばった。
皿には4cm角のショコラケーキ、4cm角のティラミス2つ、プルーンのタルト、ベリーのソースがかかった杏仁豆腐が・・・。
チョコレート・・・。
でもこれも経験と、数年ぶりに挑んだ。(チョコレートに。)
おいしくなかったけど吐き気は催さなかった!かなり感動。歳を重ねると味覚に寛大になる。
珈琲を取りに行こうと席を立ったら手をパーに開いて「座ってて。珈琲でいいですか?」と、珈琲も汲んできてくれた。

この間、会社が休みだった母を連れて原美術館へ行った。
オラファー・エリアソン「影の光」展。
真っ暗な部屋の上から、霧のような滝の降り注ぐ部屋。そこに光を当てることでカーテンのように揺れる霧にスペクトルの虹色が。そういうような、スペクトルをいろいろ応用したインスタレーションが沢山。
何もない誰もいない真っ白な空間をゆっくりなぞる巨大な光の輪に飲み込まれる作品群。母と二人で「これはきれいだけど・・・やばい。やばいやばい。」と繰り返す。うっかりすると二度と戻ってこられなそうな、体に悪い、危険で純粋無垢な美しさ。
2階の一番奥の暗い部屋の作品のトリックを見て二人で「うわあ!すごい!!なんてこった!!」と叫ぶ。
カフェでごはん。原美術館の中庭を管理人らしきおじさんが横切ってこちらにやってきた。手に大きい魔法瓶を持ってる。それからすぐにまた横切って戻っていった。珈琲をもらいに来たみたい。あのおじさんは毎日カフェのおいしい珈琲を飲みながら庭掃除をしているのであるなあ。
母は帰りに、そのおじさんと園芸トークに花を咲かせてた。ステキな葉っぱがあるんだってさ。
原美術館のそこここに生えてる薊(アザミ)みたいな形の大きな葉っぱをした植物の名は、アカンサス。
アカンサスは、ギリシャ建築のコリント様式の柱頭模様で有名な耐寒性多年草。(さっき調べて知った。)へー。

おととい竹橋の東京国立近代美術館に「ドイツ写真の現在展」を見に行った。これは行きたかった。あきらめるにはあまりに惜しいので会期ギリギリのかけこみを。
入ったところはベッヒャーコーナーで、うれしくてたまらなかった。あぁ私はベッヒャーを愛す。
自分で自分の全体像もわからないで成長してしまった、誰も意図せずにできあがってしまった巨大な構造物たち。近寄ってみてみれば、そこでクルックーと鳴いてる(と思われる)鳩の一団。
ああ・・・。
あと、ベアテ・グーチョウという人の写真がとてもおもしろかった。これはほんとにおもしろい。
写真の縁にはデータ情報が見えます。実はこの風景は、20から30にもなる複数のイメージをコンピューターで合成してつくったものなのです。芸術の世界、とくに絵画の世界では、芸術家は様々なモティーフを組み合わせて、理想的名風景を追い求めてきましたが、グーチョウのつくる風景は、理想とは無縁です。そこにあるのは、時代も場所も現実とはどこか違う、けれどなんの変哲もない風景で、どこかデジタル技術に対する皮肉すら感じられます。
(パンフレットより抜粋)
「写真の芸術」というよりはむしろ、「写真というものを考えた芸術」って感じがした。なんか妙な悪寒がした。
ロレッタ・ルックスの写真も悪寒がするけど、あの怖さはあからさまだしまた違った種類だと思う。
手品を見ているようで、「どうやってんの?本当はどうなってんの?」という目でじろじろ見てしまう。(足と草の接触面、影と陰)
それでも好きさ。
トーマス・デマンドもよかった。はじめ何か分からなかった。これは絵?CG?写真?
実際は、紙で作られた実物大の模型を写してるらしい。なるほど!のっぺりとして不思議な風景。
そうと分かると、私も模型制作のバイトをしてたものだから、写真をみてても「ここのところはどうやって作ろうかな。」などと考えてしまった。
ハンス=クリスティアン・シンクもステキだった。
旧東ドイツの、虚しいくらいに整備されたまったく人のいない風景。まったく恐ろしいことだけど、それはどうしても、とても綺麗なのだった。
アンドレアス・グルスキーは視界いっぱいにして眺められてよかった。
今回はどの作家のものもそれぞれ独特な世界なので、それぞれの作品はどうやって眺めると一番おもしろいか考えて、実践しながら見た。
ベッヒャーは全体をぼけっと眺めてから、その後、目でしらみつぶしに内容をなぞる。
ミヒャエル・シュミットはドライブスルー的に、一定の速さで。
アンドレアス・グルスキーは立体視みたいに、寄り目で。クラクラ。(今回みたものでは、水平のラインしかない川の風景がよかった。)
他のみなさんのもすばらしかった。私にとって今年一番よい展覧会だった。
チケットで入れる常設展もせっかくなので覗いた。
横山大観の「生々流転」っていう長ーーい絵があまりにすばらしくて唖然とした。表現の限界。「ドラマチック」を100倍に濃縮したような言葉ってどんなのがあるんだろう。
横山大観の<生々流転>は、一滴の雫がやがて川となり大海に注ぎ、最後は龍となって天に昇るという水の一生を、40メートルにもおよぶ絵巻物に描いた大作です。水の流れに万物の移り変わりを見る壮大な自然観、人生観が、水墨画のさまざまな技法を駆使して描かれています。
皇居のお堀に面したレストランは今「ミッフィーカフェ」になってて、コロッケバーガーを注文したらポテトの上にミッフィー型のチーズが乗っかってきた。やった、と喜ぶ26歳と12ヶ月。
ギャルソンおじさんはテラスに穀物を一列に撒き、スズメたちに平等に栄養を与えていた。

今日はちゃんちゃん焼きに挑戦してみた。
[野菜・豆・きのこ類] and [和] and [主菜] and [冬 and キャベツ]のレシピを検索、というのではじき出された答えのひとつだった。
なんて旨さだ!ちゃんちゃん焼き!
このサイト(味の素 レシピ大百科)いつのまにかバージョンアップをして便利になってる気がする。
食べながら見たNHKの「地球・ふしぎ大自然」は今日もとても良かった。今日は「密林の空中サーカス団 南米最大のサル・ムリキ」。とても大人げある協調性のお手本みたいな猿グループの話だったけど、途中煮え切らない子どもにイライラっとして強行手段に出た母猿はかなり笑えた。
この間のエミュー特集もおかしかった。オーストラリアの砂漠に住むエミューは「よし、あっちだ。」と思い立ったが最後、そこに向かってひたすらまっすぐ、完全にノンストップで砂漠をダッシュするという。しかも集団で!行動の奇跡を地図に記すとオーストラリア全土を直線のギザギザで網羅してしまったりもするらしい。あの唐突で猛烈な「ひたすら」感は本当に腹抱えて笑ってしまう。おぉ好きだ、エミュー。
あとはケーブルテレビで放送してる「アニマルプラネット」もよく見てる。いつのまにか動物モノばかり見るようになってしまって、いろいろおもしろいし参考になる。自分の中の常識をぶっ壊すのにかなり効果的。
特に、社会のこと、倫理的なこと。
何が良くて何が悪いことなのか。
人間社会だったらとんでもないように見えることでも全部確固とした理由が存在してる。あのひとたちは必死だ。仲間と協力するものも自己犠牲で死ぬものも他人の子どもを食べてしまうものも一夫多妻制(または多夫一妻制)のものも、全部等しくて平たく同じことだ。
だから私はもう人間社会で何かが起こってもちょっとやそっとじゃ驚かない。
特に男女のこととか。

あとときどき、「新化論の系統樹はどんどん枝分かれして広がっていくけど、あるところから1点に向かって収束していったらどうしよう。」と考えてゾゾッとしてみたりする。
「ひとつずつの種が絶滅していって最後にひとつの種が残る」っていうのは別に恐ろしくないけど、「全部がひとつに向かってる」っていうのはなんか非常に恐ろしい気がする!
さらにその進化の途中の形は、見たいような見たくないような。
あと、進化と退化の違いがいまだにわからない。なんか釈然としない。

昨日会場で売られていた楽譜を買ってきたのを、今日は辿ってみる。(2冊とも買ってしまった・・・。)
ちゃんと坂本龍一が作った楽譜なのだそうだ。とすると、今までに出ている楽譜は!?著作権の使用料さえ払えば出版できるので作曲者の意図しない表記だったりするらしい。装丁もひどかったり。へーーー。それ嫌だろうなあ。あれはなぁ・・・。今回のは中島英樹デザインで装丁もいさぎよくこぎれいに。朱色と水色に白抜きの文字。中までウィーン原典版みたいな本の構成になってて笑った。おまけCDが付いてたり曲の解説と曲ごとの「演奏のTips」とか、インタビューが掲載してあることもあって、楽譜読めなくても買うファンがきっといるんだろうなあと思った。一部だけど手描きの楽譜も全曲載ってた。CDは、うーん別に。という感じだったけど。
さっそく、浮き足立ってその「意図しないバージョン」と「完全責任編集バージョン」を比べてみる。(前から持ってる楽譜集と同じ曲がかなりダブってたので。)
うおぉ。
完全責任バージョンではスタッカートだとかが細かく指定されてるし、ひどいのは休符の長さ、リズム自体まで違ってた。まあ、今回アレンジしたのかもしれないけれども。でも今回の楽譜では、楽譜自体がその曲をどう演奏してほしいのかはっきり訴えてるがよくわかってなんか興奮してしまった。楽譜をみないとまず絶対わからないこともひとつ見つけられた。まだまだあるんだろうよ!
それにしたって、なんって複雑なリズムなんだろう。ものすごい遅いテンポでピアノでたどってると、ボケ防止のなにかとか、アルゴリズムたいそうとか、赤上げて青下げないで赤下げないをしてるみたい。
あぁ興奮冷めやらぬなあ。
でもまあ、この激しい熱中の度合いからしてあと2日後にはケロリとしてそうな予感がする。

昨日は「坂本龍一 PLAYING THE PIANO /05」を聴きに渋谷へ行ってきた。
聴いている間も聴いて終わった後も、いろいろ感じすぎて考えすぎてしまってどうにも気持ちのバランスがとれない。この人やっぱり、なんだかんだ、本当に大変なことに、いまだにものすごく天才な人・・・。脳みそが乱暴にかき回されて沢山のイメージと感想が浮かんではビュンビュンと移り変わっていった。たとえ音楽が優しい雰囲気だとしても全然落ち着きやしない。映像のようなイメージ、一瞬の色彩的なイメージ、ものごとの仕組みのイメージなどなど。きっとあの人の脳みそは特殊なんだろうと思う。こちらとしては、音楽を聴いてるというか、形のあるものとして見ているというか。突っ立ったままこわごわと眺めたり、楽しく手のひらの上で転がしたり。
「音楽」「数学」「世界の風土・文化」「物理」などなど自分がどうにか持ってる知識を総動員して「音楽の作られ方」を考えて唸るのも楽しくて、そういうこと全然抜きにして何も考えずにくちをポカーンとあけて聴いてもメロディー自体が美しくて気持ちがいいっていうのがこの人の作るもののすごいところだと思う。なんだか大変なことになっているぞ。とにかく「音楽の楽しみ方は「感じる」だけがすべてじゃない」ってことがよくわかる。アカデミックなことを知ってる人はきっと私が考えもしないようないろんな楽しみ方を知ってるんだろうな。
後半で「8台のピアノで同時に弾くための曲」という、ピアノオーケストラのための音楽の振幅といったらもう。聴いたときはどうにかなるかと思った。「コンピューターに打ち込みをして作った音楽を解凍してピアノで弾く」といった手法で、8種類のループされるメロディーと移動する和音を少しずつずらして重ねていた。本人は「デジカメで撮ったカラー写真をモノクロに変換するような」と言ってて、うまいこというなぁと思った。8台のmidiグランドピアノはこの世に存在しないらしくて、コンサートでは2台を使用していた。うーん、8台のピアノが並ぶ光景なんてぜひ見てみたい。舞台の上で互い違いに置かれたピアノのもう片方は無人(コンピューターで坂本龍一が叩いた鍵盤の情報を再現して、実際にピアノを弾いてる)。
その「+33」って曲はルイ・ヴィトン150周年のイベント用に作られた曲で、モノグラムの感じを曲に変換してるらしい。コンサートではピアノの後に映された映像も立方体のワイヤーフレームが回転しながら重なったり離れたりするものを流していて、これもピッタリだった。この凝ってない映像だからこそ。高音部で跳ねてる規則的な音をどうにかしてもっと近くに、手に入れられないかと、私の部屋に持って帰って時々手の上で転がしたりできないものかと。でもああいうキレイなものはきっと手に入らない。
「Riot in Lagos」もまた。血が逆に流れるかのようだった。
「Reversing」もすばらしかった。
一小節ごとに3/4拍子、2/4拍子、7/8拍子、5/8拍子などコロコロと変っていく。しかも自然に流れるように。
足元の不安定さと、ところどころの唐突な強弱がとても気持ちよかった。
メロディーの端っこのほうで東欧(ルーマニア、ブルガリアとか)の民謡のような音の閉じ方を繰り返す曲もおもしろかった。それが入ることでキリリと整ったはずの音楽がどこかずっこけてしまってすごく不安になるのだ。不安を楽しめる音楽。
それでアンコールの最後に弾いた「Thousand Knives(千のナイフ)」で完全にノックダウン。
うえー。私の一番好きな曲じゃないか。
実は何も期待せずに「坂本龍一のピアノコンサートは6年ぶりねー。せっかくだから行っときましょかねー。」とぶらぶら行ったのだけど、後頭部を鈍器で殴られたような気分だ。
あまり人と喋る気分になれない。

起きたら15時だった。
しかたないので、休日ということにした。ずっと読む時間のとれなかった『リヴァイアサン』を読んでたらすぐ夜。
明日は坂本龍一のピアノコンサートだ。
明日から一週間、最高気温が8℃ということでかなり凹む。私、本当に行くんだろうか・・・。
部屋がすっかり片付いたら一層部屋から出たくなくなってしまってああ困った。

もう使わないmacのG4を片付けるついでに部屋を片付けた。大学2年生のときに買った自分専用のパソコン。あんなことこんなことあったでしょう。

TBSのお昼のドラマの脚本が岩松了だったので見る。なにしろ片桐はいりも出てることだし。岩松了も出てる。しかも今日は港カヲルも!まさかの、昼から港カヲル。ドラマはところどころ話と関係ない部分のセリフがちょこちょこおもしろくてプッと笑えた。
グループ魂の「知りすぎた仙台 (コール&レスポンス2)」、何度聴いてもおもしろい。阿部サダヲってすごいな。
俺の、部屋の冷蔵庫の扉を開けて左 おまえらから見て右の上から二段目の棚には何が入ってるか知ってるくぁーい
ナンバーガールの歌(というかコント)もおもしろい。ああ贅沢。
首のない死体が超ダルイダルイとブレイクダンス ダンス
万力で耳をつぶされた俺の着メロは心臓の音 ドッキンドッキン イタイイタイ 血が止まらねぇ
お芝居見にいきたいなと思って大人計画のサイトを見てみたら驚く情報が。12月14日のNHKの「ようこそ先輩」が松尾スズキだった。これはたまげた。子どもに囲まれるんだろうなあ、そりゃあ。

今日はFAXが12mとうとうと流れてきた。ここはひとつバタフライでも。
そろそろ新しいFAX用紙を巻かねば。
「もう使わないから」と業務用の長い長いFAX用感熱紙をもらったので、うちの家庭用FAXに入る直径に巻きなおして再利用する。「もうすぐ紙がなくなります」のサインとして、ちゃんと巻き始めの1mくらいには蛍光ペンで線引いて。でもゴロゴロ巻いてるときはなんだか侘しい。なんとなく照れ笑いで誰もいないのに言い訳をしながら。巻くのが上手になってくるともっと侘しい。もっとでっかく生きたい。
ところで私は感熱紙派。
12mの休憩時間にこの番長のやつをやってみる。たしかに痛い。
ネットで検索して、別の形もやってみる。
家を片付けてて見つけたOscar PetersonのCDを一日中何度も何度も聴き続けた。へーー。じゃあもう一回?へーー。じゃあもう一回?とまるで試飲に試飲を重ねて酔っ払った馬鹿者のようだ。

一日中おととい友達への贈り物として買った健康シロップを飲んでしまおうかどうしようか悩んでいた。苦しい!あぁ、あの何ものにも似ていないおいしいシロップ。
片付けをしていたら出てきたいろいろなCDをついつい聴いた。
ボロディンの「中央アジアの平原にて」、再発見。中央アジアの草原を行く隊商を描写した交響詩だけど、ほんとそんな感じ。(行ったことないけど。)
静謐で順調なピチカート("in the steppes of central asia"の、"step"部分)の上にスィーーーと響くオーボエなんか最高だ。ちょっと奇妙なメロディーも。聴いていると頭の中をひんやりとした新鮮な早朝の空気が通り抜けて、少し肌寒いくらい。
そういえば村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』に出てくる間宮中尉のセリフを思い出した。この小説の一番好きな部分。でも歳をとるといちいちいろいろ連想するようになってしまってめんどくさくて鬱陶しい。
モンゴルに行きたい。
そのような荒涼とした風景の中を黙々と進んでいると、ときおり自分という人間がまとまりを失って、だんだんほどけていくような錯覚に襲われることがあります。まわりの空間があまりにも広すぎるので、自分という存在のバランスを摑んでいることがむずかしくなってくるのです。おわかりになりますでしょうか?風景と一緒に意識だけがどんどん膨らんでいって、拡散していって、それを自分の肉体に繋ぎとめておくことができなくなってしまうのです。それがモンゴルの平原の真ん中で私の感じたことでした。何という広大なところだろうと私は思いました。

何もしなかった。
外は寒いわ、ストーブはあったかいわで。
そのうえ豚汁と来たもんだ。
気づいたら2時。おやすみなさい。

昨日「今夜暇か」と訊かれて、友達と会った。お、お、思い出した。私にもお友達がいたのだ。(1ヶ月間ほとんど家の中から出ずに仕事してるといろんなことが壊れていく。)
ラフォーレそばの流行ってないカフェ(なぜって、センスが。)で3人集まった。ほとんど会話もしないままの、やけにテンションの低い1時間半だったけど「盛り上がらなくても全く気を使わないで済む集まりっていいもんだな」としみじみ思った。
が、同時に退屈が頂点に達したので見切りをつけて散歩に出た。安藤忠雄の新作のhhstyleの横のを見に行った。(知らなかったよ!)あと同巡会アパートも見に行って率直な意地悪を言いあった。プラダはやっぱいいね、とも。てっぺんに据えた星が特にいい。ま、全部外から眺めただけだけど。
夜は友達につれられてnorth face原宿店のパーティに行った。木の枝をシルクスクリーンでプリントしたダウンジャケットのイベントらしい。そのアーティストのライブペインティングがあった。木製の銃の先につけられた風車のハネのひとつひとつにペイントスプレーが付けられてて、引き金を引く強さによって遠心力が調節されて、遠心力の強さによってスプレーの出方が変わる仕組みになってるらしい。マスキングを剥がすとバオバブのようなゴツい木が現れた。招待客全員にレインコートが配れるようなイベントかとヒヤヒヤ(ワクワク)していたけど実際はとても繊細な作業だった。切り取られた植物図鑑のページの上からスクリーンで繊細な木のシルエットをプリントをするデモンストレーションもあった。すてきだ。
露出が多くトナカイの角が生えてるお姉さんからウイスキーとジンジャーエールでできたお酒をいただいて飲んだ。おいしいかもしれない。「ウイスキーもいけるかもしれない」と新たな扉を開いたようでうれしい。
会場は満員を200%上回るような状況だったけどさすがnorth faceのイベントだけにダウンジャケットを着て来てる人が多かったので、ぶつかってモミクチャにされてもポワンと気持ちよくて良かった。

いい思いをしてやろうと思い、weledaのトリートメントをしてもらいに出かけた。(出かけた!)大きな仕事が一段落したときに我が社(って私だけだけど)の打ち上げとしていくことにしている。って2回目だけど。今回はワイルドローズシリーズにて顔と肩と首と胸元と手と腕を撫でたり押したり揉んだり引っ張ったり刻んだりしてもらう。
ああいう事を施されてる間はいつもはっきりとしたイメージが脳内に見えてくる。今回は陰って湿度のある和室だった。ふすまのところにどこかのおじさんがいる光景。
ものすごい凝ってたようで、終わってから「・・・こんなになって、可哀想に。」と言われた。可哀想がられて癒される。終わってからカシスのシロップをお湯に溶いたものをいただいた。あぁ神様。来週会う約束をしてる友達にあげようと思って白樺のシロップを買った。これもとてもおいしい。
お店を出てから、調子に乗ってイヤリングなんて買ってみた。耳にはさむタイプの。「これはすぐ落ちるなー。」と思っていたら1時間後に落とした。柄にもなくハートのものなんて買ったらこのざまだ。ハートの野郎!

「駅前でみつ豆」が癖になってしまった。
忙しいのに夕方駅までのこのこ出て行く。
体力の低下があまりにも著しい。
50mくらい歩いたらすっかり気分が悪くなってしまって参った。唐突な血の巡りに体が白けてる感じ。
12月は意識的に動こうと思う。リハビリだ。まずは部屋でできる運動から。肉とかも食べよう。目指せ3食。
でもまずは部屋の大掃除から。
あと明日はクレ556ししよう。